S.T.デュポンの歴史~デュポンライターの誕生から現在まで~
創始者シモン・ティソ・デュポン(Simon Tissot Dupont)
ブランド名は、創始者である彼のイニシャルS.Tから名づけられています。
高級鞄メーカーとしての成功
1872年、シモン・ティソ・デュポン(Simon Tissot Dupont)は幌馬車の会社を創業。
運悪く火災により、幌馬車会社は潰してしまいましたが、その後、高級書類ケース製造の小さなアトリエを受け継ぐことができました。
シモンのアトリエは評判がよく、ルーブル百貨店などの大型店にも納入し、旅行靴やポーチのシリーズなど多様化に成功していきました。
その後、息子に引き継がれた会社は順調に成長していきます。
1935年には、旅行靴の重量を軽減するため、おもすぎるエナメル素材を「漆」に変更しました。
当時のフランスでは、漆の技術が浸透していなかったため、中国で漆工芸を学んだロシア人を雇いれたと言われています。
このときから始まった「漆工芸」はエス・テー・デュポンのトレードマークになっています。
デュポンのライターでも、いくつかのモデルで漆が使われていて非常に特徴的になっています。
戦争の影響を受け、ライター事業が立ち上がる
1941年、第2次世界対戦が始まると、デュポンの事業にも影響が出始めます。
顧客が減り、物資の調達にも支障をきたすようになり、旅行用鞄の注文を受けられなくなりました。
ここで初めて、オイルライターの製造に乗り出すことを決定したそうです。
そして、無事、ライター事業が立ち上がり、新しい客層を取り込むことに成功しています。
1945年、第2次世界対戦が終わりましたが、結果としてデュポンはライター事業を展開していたことが幸いします。
この頃から、飛行機での旅行に使われる靴などが大きく変わり、
戦争以前にデュポンの事業の中心であった高級トラベルケース市場は縮小していきます。
ライター事業を展開していたおかげで、デュポンはスムーズに中心心とする事業を変更することができました。
1951年には、2年間の研究の成果として、ガスライター第1号を売り出します。
ライターの成功を足固めをしつつ、ますますデュポンはライターの製造に力を注いでいきます。
そして1966年には、従来のライターよりも炎調整装置が改良されたライターが発売され、確固たる地位を確立していきました。
ギャッツビー、発売!そして、地位は揺らがず
1985年、デュポンライターのブランドの中核を担う「ギャッツビー」が発売されました。
ブランドシンボルとなる「ダブルゴドロン」が誕生したのも、このときでした。
その精巧でいて、幾何学的なデザインで知られる「ダブルゴドロン」は、現在すべての新製品に反映されています。
2002年には、ライター製造60週年を記念した記念限定モデルを発売。
世界限定60個で、ダイヤ60粒(合計3カラット)を装飾したライターで、定価は450万円でした。
このモデルは、テレビドラマ「白い巨塔」で主人公を演じた唐沢寿明(財前五郎)が使っていて話題になりました。
実際にドラマで使われていたのは、ダイヤ粒ではなくジルコニア粒装飾の非売品だったそうです。
ダイヤでなくても、定価100万円程度というから、驚きます。
また、2012年には、デュポン社140周年を迎え、国民的人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」の作者・尾田栄一郎氏とコラボレーション。
尾田栄一郎氏デザインの 「スリーピング・マーメイド・コレクション」を発売しました。
現在でも、様々な限定モデルを発売しながら、
一流の人が持つライターとしての確固たる地位にゆるぎはなく、ドラマなどで使用されることも多く、芸能人の中にもファンが多いライターです。